夜と霧 新版
夜と霧 新版
夜と霧 新版
みすず書房 みすず書房 池田 香代子
¥ 1,575
名著の新訳には、つねに大きな期待と幾分かの不安がつきまとう。訳者や版元の重圧も察するにあまりあるが、その緊張感と真摯さのためか、多くの場合成功を収めているように思われる。本書もまた、その列に加わるものであろう。
ユダヤ人精神分析学者がみずからのナチス強制収容所体験をつづった本書は、わが国でも1956年の初版以来、すでに古典として読みつがれている。著者は悪名高いアウシュビッツとその支所に収容されるが、想像も及ばぬ苛酷な環境を生き抜き、ついに解放される。家族は収容所で命を落とし、たった1人残されての生還だったという。
このような経験は、残念ながらあの時代と地域ではけっして珍しいものではない。収容所の体験記も、大戦後には数多く発表されている。その中にあって、なぜ本書が半世紀以上を経て、なお生命を保っているのだろうか。今回はじめて手にした読者は、深い詠嘆とともにその理由を感得するはずである。
著者は学者らしい観察眼で、極限におかれた人々の心理状態を分析する。なぜ監督官たちは人間を虫けらのように扱って平気でいられるのか、被収容者たちはどうやって精神の平衡を保ち、または崩壊させてゆくのか。こうした問いを突きつめてゆくうち、著者の思索は人間存在そのものにまで及ぶ。というよりも、むしろ人間を解き明かすために収容所という舞台を借りているとさえ思えるほど、その洞察は深遠にして哲学的である。「生きることからなにを期待するかではなく、……生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題」というような忘れがたい一節が、新しくみずみずしい日本語となって、随所に光をおびている。本書の読後感は一手記のそれではなく、すぐれた文学や哲学書のものであろう。
今回の底本には、旧版に比べてさまざまな変更点や相違が見られるという。それには1人の哲学者と彼を取り巻く世界の変化が反映されている。一度、双方を読み比べてみることをすすめたい。それだけの価値ある書物である。 (大滝浩太郎)
それでも人生にイエスと言う
「生きる意味」を求めて (フランクル・コレクション)
夜と霧―ドイツ強制収容所の体験記録
意味への意志
愛するということ
■生きる意味は自分で見つける 評価5 日付2008-08-30医師国家試験に合格した親友にお祝いを贈ったところ、返礼としてもらった大切な本。
極限状態でも人生の意味を見出すことはできる。翻って現代の日本を見てみると、自分自身の人生の意味を見いだせずに自分や他人の生命を奪う若者が多いことに気づく。
哲学については浅学で恐縮だが、本書の内容や著者フランクルをはじめとした実存主義思想は今の日本にこそ有用ではないだろうか。
■自分の人生を変えた1冊 評価5 日付2008-08-27ナチスの強制収容所に収容されたユダヤ人精神科医である著者が強制収容所内における人々の心理や行動について医学の見地から考察し、「生きる」ということの本質をシンプルな言葉で語りかけてくれる名作。
本書の中にでてくる「生きる意味とは外に求めるものではなくて、生きる意味が逆にこちらに生きる意味を問いかけてくる、そして我々はその生きる意味に答えを提示しなければいけない。それも具体的な行動によって。」という部分は生きがいを外部に求め続けていた私の考えを改めさせてくれた。
■人間を知るには、この本。 評価5 日付2008-08-25極限状態で人はどうなるのか。私たちは(少なくとも私は)、生きるか死ぬかの極限状態に今まで追い込まれたことがありません。
人間の本性が一番表れるのは、ピンチのときです。人間は、悪なのか、善なのか。
もし私が今日食べるものも困っていたら、それでも人にパンを分けてあげられるだろうか。おそらく無理でしょう。自分が極限状態に追い込まれたら、人を気づかうことはできなくなると思います。
私には、無理ですが、自らが極限状態にいるのに、他者にパンを分けてあげられる人が実際にいたと言います。そういう話を聞くと、人間って素晴らしいと感じます。まとまらない文章ですみません。とにかくおすすめです。
■過酷な状況のなかでどう生きるか 評価5 日付2008-06-24心理学者であり、医師であるフランクルが、ユダヤ人強制収容所で過ごした日々の体験記。読んでいて、涙が止まらなかった。被収容者は、モノ同然に扱われ、毎日過酷な労働を強制される。少しでも監視兵の目にとまるようなことをすれば、酷い暴力をふるわれる。「弱々しく」見える者は、労働力として価値がないものとみなされ、ガス室送りになる。一日に食べることが出来るものといえば、ほんのひとかけらのパンと、水のようなスープだけ。その食事を、どれだけ待ち望んで一日の労働に耐えることか。食物を手に入れるために、人を欺いたり駆け引きしたり、時には盗みを働く。収容所に連れてこられた当初は、楽観的に構えていた仲間たちも、次第に何も感じる事ができなくなり、人間らしさを失っていく。一番重要に考えることといったら、どうやって与えられたパンを、長持ちさせて食べることができるか、、、。
だが、このような劣悪な環境に置かれていても、精神的に益々研ぎ澄まされていく人たちもいた。彼らは、愛する人のことを心に思い浮かべる事で、心が揺さぶられ、満たされ、至福を感じた。美しい夕日を目にすることがあれば、感動し涙を流した。あまりにも自分達が置かれている状況とはかけ離れたところにある、生命力に満ちた自然を感じることで、生きているという感覚が呼び覚まされたのだ。
どのような状況下にあっても、人間は人間らしく生きることができる。どんな人間になるのか決める事ができるのは、自分自身だ。たとえ、抑圧を受け、尊厳や自由を奪われたとしても、精神の自由は誰にも奪う事が出来ない。ドフトエフスキーの「わたしが恐れるのはただひとつ、わたしがわたしの苦悩に値しない人間になることだ。」という引用が、印象に残った。
■生きる意味を考えるきっかけを与える本。 評価5 日付2008-05-23ナチスの強制収容所に入れられた著者。常に死の恐怖が付きまとう過酷な状況に晒される被収容者の心理状況を学者の立場から観察し描いている。
また本書は大きく「施設に収容される段階」、「収容所生活そのものの段階」、「収容所からの出所ないし開放の段階」の3つに分けて書かれている。
その中で被収容者はそれぞれの段階を踏むことにより「心の反応」が起き始める。ある者は「人間」を放棄し、ある者は同じ仲間に暴力をふるい、またある者(ごく少数であるが)は過酷な状況で自身の内的成長を感じ始める。また著者はこの様な状況下で「生きる意味」についてこう述べている。
「わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ」
著者は収容所の体験で「どの時代の人間もしらなかった人間を知った。」と述べていることから、いかに収容所の体験が壮絶であったか、そして、生と死を含め、苦しむことに人生の意味が見出せるのだと読者に懸命に伝えようとしている。
160ページほどの本であるが、収容所の悲惨な状況だけを伝えようとするのではなく、極限状態での人の内的な強さを優しさとそして力強さを持った文章で、多くの感動と励ましを与えてくれる。勝ち組負け組みという枠組みでしか人の存在意義を見出せない現代(もちろんそれを打破しようと懸命に努力してる人は大勢いると思います)にこそこの本は必要だと思う。必読。
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